関根勤の名言

親っていうのは「木」の上に「立」って「見」る、って書くんだ。
お前らのは「自己主張強気」って書くんだ。
あるいは「無我慢朝からベーコン野郎」って書くんだ!


例によってこれだけ見ても何のこっちゃ訳分からんわけですけど、関根さんが自著「関根勤のフルコンタクト映画館」で「最近のアメリカ映画は離婚がらみの話ばっかり。恋愛中は甘い囁き合戦ばかりしていたくせに。もうちょっと子供のことを考えて我慢しろ」と苦言を呈した時のセリフですね。
確かにアメリカの映画って数年前からかならず主人公は離婚していると言っても良い状態ですよね。それでいて「まだ愛してるの」だのなんだの理解不能な引っ張り方ばっかりして何がしたいんだか。娘さんをあんなに立派に育てた関根さんとしては、たとえフィクションとはいえ一言言わずにはいられなかったんでしょう。余談ですけど小学生の頃からコサキンリスナーだった私は、生まれたばかりの頃からネタにされまくっていた関根麻里をテレビで観るとなんか孫を見るような気持ちになるんですよね。
僕には子供がいないので親の気持ちと言うのは分からないですけど、親子関係に限らず「見守る」っていう感覚は実に必要だと思うんですよね。今最も求められている能力といって良いかもしれない。
何かにつけて「思っていることを全て言い切らなきゃ負け」な感覚になりつつあるし、「今行っている行動を全て言葉で説明できなければダメ」みたいになってますよね。
僕は「言葉にする」っていう事は「思考をデジタル化する」って言う事だと思うんですよね。頭の中の考えを記号に変換するわけだから。だからこそ自分のサイトでは、デジタル化されていない製パンの技術を言葉にする(デジタル化する)っていう事を実験しているんですが。
でも「デジタル化できない部分」が実に重要だと思うんですよね。今の世の中の価値観だと「言葉にできないけど感覚的に違う(合っている)と思う」っていう事は「言葉にできていないから負け」くらいの感覚ですよね。食品の消費期限だって「消費期限の数字的には大丈夫(ダメ)だけど、言葉で説明できないけど感覚的にやばい(大丈夫)」っていう感覚がある人はいるはずなんですよ。でも今はそういう人を「間違った人間」として排除する方角に傾きすぎていると思うんですね。こういう「感覚」はビジネスにはならないから。
こういう正しい感覚を持った人間が絶滅する前に何とかした方が良いと思うんですけどね。
「まだ言語化できるまで熟成していなくても無理に言語化して放出しなければならない」っていう世の中だからおかしな日本語が出回るんですよ。今って、「会話」が「会話」になってないもんね。楽しい会話=ボケて突っ込むなんでしょ。そりゃ会話になって無いんだから、ずっと黙ってるのと同じなんだからストレス溜まるわな。
黙って見守る事の方が大事な事が多いと思いますよ。「秘するが花、分目を知る事、肝要の花なり」ですよ。