ラ・マンチャの男の名言

仕事の上で電話で相手の名前を聞くときって、音声だけでは当然漢字が分からないから「どういう字ですか?」という事を訊くじゃないですか。
いつも気になるのが「木」という時を説明する時に「樹木」の「木」です。って説明する人が多いことなんですよね。「樹」も「木」も「き」と読むわけだから説明になって無いじゃんと思うんですよね。
そういう事っていっぱいありますよね。「こうこう」って言ったら普通は「高校」を思い浮かべると思うのかもしれないけど、「航行」「孝行」「後攻」くらいは人によって真っ先に思い浮かんでもおかしくないと思うんですよ。どっかの高木さんが「高校の『高』に『樹木』の『木』です」って自分の名前を説明して「航樹様」って書かれちゃう可能性もなくは無いわけだよなあ。同じ様に「トウキョウドームの『トウキョウ』です」って聞いて「闘強」ってかいちゃうケロちゃんとかもいるはずなんですよ。
何でそんな話をするのかというと「格」っていう字を説明する時に「格が違うぜ!の格です」って説明したら笑われたからなんですよ。これ以上分かり易い説明は無いだろうが。


ラ・マンチャの男の名言
事実は真実の敵である。


ちなみに私、この演劇をみた事ありません。内容全く知りません。うっかり来ちゃったこの劇のファンの方本当に申し訳ない。
でも、この言葉を聞いた時に僕はパッとイメージが浮かんだんですけど、この言葉に言及しているほとんどの人の解釈がずれている気がしてならないので、思わず書いてしまった。あぁまた余計なこと書いちゃった。
以前「嘘をつく時大事なのはその内容ではなく、何故嘘をつくのかというその状況じゃ♥」っていう、狼と香辛料に出てきたセリフの事を書いたんですけど、
http://d.hatena.ne.jp/c-mad/20080122
この時に書いた「もう一つの名言」がこれなんですよね。
この言葉で言う所の「嘘の内容」「事実」で、「嘘をついた理由」の中に「真実」が隠されている、っていう事ですよ。ああ分かり易い。
「敵」っていう言葉に沿って違う例を出すと、
例えばどこかの宗教団体が「信仰の自由」という言葉を盾に、人を殺しまくってバックレていると。
「信仰の自由」がこの国で守られている事は「事実」ですけど、検察からみたらこの「事実」は宗教団体の犯罪という「真実」を訴追する上での「敵」ですよね。
競馬で言うと、トニービン産駒が中山苦手だったと言う事は「事実」・・・ってしつこいからもうやめた。
一般的に、「事実」っていうものは「完全な反証をあげられない限り『真実』として代用できる道具」っていうニュアンスで使われている気がするんですけど、んあこたぁない。矛盾して並立している「事実」なんて山ほどある。そして証明問題なんて無駄な事この上なし。
大抵の世間で行われている「会議」って、ほとんどがここで引っかかって「真実」に向かおうとしないんですよね。だから俺はかつて所長をやっていた時に「会議禁止令」をだしたんですよ。会議の席でちゃんと「真実」に向かおうとする人間なんて今までみた事ないもん。そんな超天才がこの世に実在するなら教えてください。ていうか友達になって下さい。絶対いないよ。いたとしてもそれは多分プラズマ。大槻教授がそう言ってた。
「事実」っていうのは「試験にその問題が出た時に、○をつけないと点数がもらえない物」と考えてもいいですね。「詰め込み教育は効果的では無い。○か×か」っていう問題が出たら○って書かないと落第しちゃうから仕方なく○ってみんな書くわけでしょ?で、その結果ゆとりだらけで日本は三流以下の国になったわけだ。これが真実。会議の例で言うと、×って答えた人に対して「何故×なんだ!証明してみろ!」って馬鹿上司が切れて、永遠にその事実のやり取りで終わっちゃうわけだ。そして永遠に真実に辿りつかないゴールドエクスペリエンス・レクイエム状態に陥って、ボンクラだけが生き残って正しい人間だけが弾かれ続けると。ここ、今日本中の人間全員が深く頷いたはず。そして痛いトコ突かれた馬鹿が意味不明な言い訳するんだよね。「育成の巨人(笑)」とか。
昨年の8月に、NHKの「一期一会」って言う番組で、「この世から武器を無くすべき」と主張する女子大生と「自分の国は自分で守るべき」と主張する自衛隊予備役の青年を会わせて互いの意見をぶつけさせるという、なかなか興味深いマッチメークの放送をしていたんですよ。
僕は「当然答えなんか出るわけが無いけど、正反対の考えの持ち主がお互いの真実に向かおうとする過程で見えてくるもの」に期待しながら観ていたんですけど、途中で女子大生の方が「私の死んだおばあちゃんが被爆者で・・・」とか感情論に走り始めちゃって台無しだったんですよ。そりゃ気持ちは分かるがそんな事今の自衛官が言われたって困るだろ。別にその自衛官がおばあちゃんを守れなかったわけじゃないし。でもこういう状況で「私のおばあちゃんが被爆したのは事実なんです!それでも死ぬまでオシャレし続けておばあちゃんは素敵な人でした!」とか涙ながらに叫ばれちゃったら、「いやそれとこれは話が別だろ」って突っ込んだ方が悪者じゃないですか。「おばあちゃんが被爆した事実を否定できるのかと問うて否定できなかった=自衛官の負け」っていう結果にされちゃうんですよね。どう考えても違うだろって。
その点、競馬で鍛えられている人間は話が早いですよね。みんな「事実」の陰に隠された自分だけの「真実」を探す事だけを考えてるから。