美術

先日日曜美術館池田満寿夫をやってましたけど凄いですよねこの人は・・・。みうらじゅんさんのアウトドア般若心経って池田満寿夫の事も含んでの物だったのかな。

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他に僕は江戸時代の絵画も大好きなんですけど、ってどんだけ趣味があるんだよって言うのはともかく。
3週ほど前の日曜美術館河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)を取り上げていたんですよ。この人は浮世絵と狩野派の両方の技術をしっかり身につけながらも頭のおかしい画(地獄太夫を骸骨が取り囲んで、その頭の上で一休和尚が踊っている図等)を描いている、言ってみればクラシックとポップスの最上級の理論を身に付けた上でパンクスみたいな存在なんですよね。余談だけどパンクバンドのドラマーって馬鹿テクの人が多いんですよね。
で、その理由とか人となりとかを僕は知らなかったんですけど、まずは幕末の時代の移り変わりに対して(恐らく無防備に外国の言われるがままな国に対して)の怒りがあったと。それで、学校に行かなきゃいけないと言われながらも行けない人達が大勢いた事を皮肉った妖怪学校の画とか描いてるんですね。
もう一つの理由は、自分の思い描く日本画が完成していないという飽くなき探究心。コンテストに応募作品を送って、見事受賞するんだけど審査員に「こんな素晴らしい画をかけるんだから普段からあんなふざけた画を描くのを辞めろと言われてもう二度とコンテストに出品しなかったのも「こんな物で日本画が完成した事にするなんてふざけるな」という思いがあってのことみたい。また彼の弟子の外国人(彼が外国人にも門戸を開いていた事は知っていたけど、それが鹿鳴館等を設計したコンドルだとは知らなかった)に作品を送っているのだけど、背景に日本の四季を違和感なく描きこんだり、写実的な当時のヨーロッパの絵画ではありえないバランス(柱より脚が後ろにあるのに、柱にかけた手の着物の袖が柱より前に来ている)をわざと描きこんで「これが日本人の価値観。」っていう事を表していたらしいです。これって「リアルよりリアリティー」って事ですよね。だとしたら現代のアーティストにまでしっかりその価値観は受け継がれている訳だ。
ちなみに彼は幕末期には「猩々狂斎」と名乗っていたそうです。名前を変えるのは珍しい事では無いというか葛飾北斎なんて呆れるほど名前を変えているんだけど最終的に「画狂老人卍」と名乗っていたんですよね。これって今で言うと「マッド・オールド・ペインターX」みたいな感じ?くしくもこの天才絵師二人とも自分で自分を「狂」と称しているんですよね。やっぱ狂ってないとダメだよね。でも時代性で狂った暁斎葛飾北斎じゃまた違うよなあ。ここら辺はどうなんですかね。北斎も謎が多過ぎる人なんで何を考えていたのかは分かりませんけど。