うんにゅ

「運輸」と書こうとしてうっかり間違えると「うにゅ」とか「うんにゅ」とかになって妙に心が和むんですけどそういう話ではない。


僕が小学生くらいの頃に家族の間でやたらと言われていた事なんですけど、僕が一歳位の時に父親と二人で家で留守番しなければならない事があったそうなんですよ。
それで、母親が用事を済ませて帰ってきたら私がもう狂った様に泣き叫んでいて、父親に聞いたら「こいつがずっと冷蔵庫を指差しながら『うんにゅ!!うんにゅ!!』って意味の分からない事を叫んでずっと泣いていた」って説明したらしいんですよ。まあ要するにまだ「牛乳」と発音できずに「うんにゅ」になってしまった訳ですね。
で、家族の間ではそれがずっと私を馬鹿にしてからかうニュアンスで語られ続けていたから物凄く恥ずかしいこととして自分の中で受け止められてきたんですけど、よくよく考えたらずっと飲まず食わずで一日放置された一歳児が冷蔵庫を指差して何かを訴えていれば「喉が渇いたかお腹が空いたかどっちかだな」くらいの事は人間として気付くじゃないですか。人間じゃなくても生き物として気付くと思うんですよ。多分犬でも鼻先で冷蔵庫を開けようとするくらいは出来ると思うんですよね。ちょっと気の利いた烏くらいの知能があればくちばしで冷蔵庫を開ける位はしてくれると思うんですよね。サンシャイン水族館のアシカショーのアシカならほぼ確実に牛乳飲ませてくれるね。っていうか一歳児にしては「牛乳」を「うんにゅ」くらいだったらかなり頑張った方だと思うんですよ。思えばこういうところで無駄に自分の表現力は磨かれたんだなあと思う。赤ちゃんが飲み物も食べ物も一切与えられないで放置されるのって完全に命がけですからね。


さすがウチの父親だなあ。ウチの父親は世界初の引き篭もりとしてギネスブックに申請されている人物なんですけど(まあ嘘ですけど)、とにかく「人として興味を持つべき事に興味を持たない」んですよ。おそらく「お勉強」は出来る人間だったんだろうけど「それがどうかしたの?」としか言い様がないくらい使い道がないんですよね。
僕が子供の頃に一応遊んでくれはしたんですけど、将棋とかをやるんですよね。それはいいんですけど、自分は寝転がって目隠し将棋をやるんですよ。僕が「2六銀」とか言って駒を動かして父親が5二歩」とか言うとその通りに相手の駒を動かすんですよ。そして僕は負けるわけですよ。自分で一人二役をやってしかも負けるわけですよ。のび太の一人ジャンケンのまさかの自分が負けるバージョンな訳ですよ。これ以上切ない事はないわけですよ。
甥っ子が赤ちゃんの頃にトランプ手品を披露していたのはいいんですけど、「広げたトランプの中から2枚を選んで、三つに切り分けた山の上にそれぞれ乗せてシャッフルして山の上の一枚目をめくってその数字を覚えて・・・」みたいな超絶複雑な手品に無理矢理つき合わせて、見る見るうちに甥っ子が悲しげな顔になっていくなと思ってみていたら最終的につまらな過ぎて泣きましたからね。手品がつまらないという理由で泣いたのは世界広しと言えどもウチの甥っ子だけだと思うんですよ。


あと僕の入学式とか卒業式とかにも一切来た記憶が無くて、僕が大学に合格した時はお祝いとしてボールペン1本投げてよこされましたからね。予備校にも通わずに自力でそれなりの大学の一番レベルの高い学部に現役合格するのって、まあまあ祝福されるべき物だと思うんですよ。あの辺で完全に「あぁ俺は何をしても絶対に人から感謝されない人間なんだ」という思考が染み付いて人格が歪みました。という訳で自分の子供の人格を捻じ曲げて人生を台無しにさせたいと言う親御さんはウチの父親の真似をすると良いでしょう。



そんな感じで、僕は今赤ちゃんが大好きだったりします。