Kanon

「何か理由がなければ 正義の味方にゃなれない 誰かの敵討ちをして かっこよくやりたいから 君 ちょっと行ってくれないか 捨て駒になってくれないか いざこざに巻き込まれて 死んでくれないか」
と歌ったのは甲本ヒロトですけど、まさに今の世の中こういう感じですよね。人の失敗を多く探したものが勝ち。人の欠点を多く探した人が優勝。人の揚げ足を一番多く取った人にハワイ旅行プレゼント。
僕もそういう揚げ足取りネタはよくブログで書くんですけど、何かの目的のための手段として揚げ足取りをするのであって、揚げ足取りそのものを目的にしない様にだけは気を使ってるんですよ。ってこれは本文と関係あるような無いような前置き。




何の因果かこのブログを読んでいらっしゃるあなたは、雪にどんなイメージを持っていますか?
僕の中では何というか、「浄化してくれるもの」。そんなイメージなんですよね。


「key3部作」と呼ばれる、いわゆる美少女ゲーム原作のアニメーション作品、Kanon



優しくしてくれた人に会いたくて仕方がなかった生き物。
世間の悪意を一心にぶつけられていた自分を受け入れてくれた人との約束を、ずっと守り続けている人。
死の病にある自分と共にいてくれてくれる人の気持ちに感謝する少女。
そんな妹がもうすぐ死んでしまうという現実に向き合えずに避け続けてしまう姉。
家族に優しく出来なかった事を後悔し続けている人。


key作品って「泣きゲー」と呼び習わされているだけあって当然悲劇がベースになって物語が進む訳ですけど、基本的に「誰のせいでもない悲劇」であって、まあ要するに「敵」とか「悪者」がいないわけですよ。
誤解上等で書きますけど、僕が思うに「憎むべき相手がいる悲劇」はまだマシなんじゃないですかね。
絶望を受け入れる心。負の連鎖を自分で断ち切る覚悟。悪意を浄化する精神力。
そういったものが「強さ」であり、人にそういう「強さ」を与えるものが「優しさ」なんだよ。
KanonAIRCLANNADも、key作品に共通するメッセージはこれでしょう。そしてそれを「虐げられたジャンル」が最も美しく描いてみせている事に意義がある。



そんなセンチメンタリズムを、溜め息が出るほど美しい色と音で描いたKanon。年末年始の休みに観てみてはいかかでしょうか。