興福寺創建1300年記念阿修羅展

今日は天気も良かったので早起きして、東京国立博物館の阿修羅展を観に行きました。
良かったですよ〜。興福寺の仏像は、他の八部衆も状態が良く素晴らしい。もちろん迦楼羅も良かったですけど、個人的には乾闥婆(けんだつば)が気に入りました。ヒンドゥーではガンダルヴァといい、神様に音楽を捧げる楽団のバンマスで、主食が「香り」なのでほんのり良い香がするらしい。なのに頭に獅子被ってる。超かっこ良過ぎじゃないですか!


展示の仕方としては、まず発掘された皿とか装飾品、銅貨などが展示された部屋を通過して、明るく広い部屋に出たかと思うと右に十大弟子、左に八部衆(阿修羅以外)が林立!!かっこよすぎる仏像を存分に堪能するとまた暗い部屋に入り、スロープを少し上がって阿修羅の展示されている部屋に入る形になります。
阿修羅立像は中央に展示されていて、まず展示室に入ると、スロープ状のバルコニーから人々の頭越しにちょっと上から阿修羅を観る事が出来、スロープを下って部屋に下りると、ガラスケースなどに入っていない阿修羅像を拝見する事が出来ます。像自体は恐らく身長160cmくらいだと思いますけど、腰の高さくらいの台に乗っているので間近で観ると顔は見上げる形になります。
造型の美しさ等は当然予備知識としてあったんですけど、実際に生で観るとやはり感動しますね。素晴らしい。そして想像していた以上に状態が良い。色も結構残っていました。二組目の手が折れているのが残念ですけど、かなり軽く出来ているものらしいので物を持った手が折れちゃったんでしょうね。基本的にここは弓と矢を持っていて、上を向いた一組目の手には日輪と月輪が乗っているはずなので。


ところで、僕は教科書的知識で「阿修羅は八部衆の一つ」っていう目で観ていたんですね。
以下、凄く雑な解釈だから「インテリ(笑)」の方が読むと激怒するかもしれないので、自覚のある方は読まないで欲しいんですけど、八部衆って言うのは多分係長位のポジションだと思うんですよ。乾闥婆は「株式会社仏教総務部レクリエーション課音楽係長」みたいな。阿修羅は元々位の高い神だった事は知っていたので、「株式会社ヒンドゥーが吸収合併されたので、有能だった阿修羅さんもいまでは単なるセキュリティー係長に」くらいの解釈だったんですね。
つまり「興福寺の阿修羅像は、本来なら八部衆の一つに混ぜられておくべき物だけど、状態が凄く良かったから特別扱いされている」みたいに思っていたんですよ。


で、実際に実物を観て「やっぱり阿修羅だけが特別な存在なんだ」という事を強く感じました。


興福寺の執事の方が解釈を本に書かれている様なので、そっちを読むべきとは思いますけど、他の八部衆はみんな鎧を着ている。闘いには直接関係ないと思われる神までも、半身半獣なはずなのにわざわざ実物の人間に近い形にして鎧を着させているのに、戦いの神の阿修羅だけが上半身裸なんだからそこには絶対意図があるはずだと思うんですよ。あまりに興福寺の阿修羅が有名過ぎるから裸がユニフォームと思われてるけど、鎧を着た阿修羅の仏像もある訳で、普通に考えたらそっちの方が素直ですよね。


で、阿修羅の事を軽く(面倒だからwikipediaで)調べてみたらヴェーダと言うのは宗教文書の事で『知識』の事」なんて、思わぬ所でガンダム00の知識が身に付いちゃったりしたんですけど、それはともかく、

阿修羅は正義を司る神といわれ、帝釈天は力を司る神といわれる。
阿修羅の一族は、帝釈天が主である忉利天(とうりてん、三十三天ともいう)に住んでいた。また阿修羅には舎脂という娘がおり、いずれ帝釈天に嫁がせたいと思っていた。しかし、その帝釈天は舎脂を力ずくで奪った(誘拐して凌辱したともいわれる)。それを怒った阿修羅が帝釈天に戦いを挑むことになった。


っていう所と、


藤原鎌足夫人の鏡王女(かがみのおおきみ)が夫の病気平癒を願い、創建した山階寺(やましなでら)が当寺の起源である。壬申の乱のあった天武天皇元年(672年)、山階寺藤原京に移り、地名(高市郡厩坂)をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称した。

和銅3年(710年)の平城遷都に際し、鎌足の子息である藤原不比等(659年−720年)は厩坂寺平城京左京の現在地に移転し、「興福寺」と名付けた。


っていう興福寺の由来を読んで真っ先に頭に浮かんだのは
藤原氏が滅亡に追い込んだ蘇我氏聖徳太子)の祟りを恐れて、阿修羅に重ね合わせて祀ったんじゃねえの?厩っていう名前が入る辺りも怪しいし」
って事なんですよね。あくまで第一印象なので、ちゃんと調べればまた別の感想も出てくるかもしれないですけど、「阿修羅だけを、(ばれないように)特別な意味をこめて作らせたからこそ、1300年経った今でも人々の心を打つ」と言う風に僕は思います。


この展示は大きく二つのブロックに分かれていて、もう一つのブロックの方は鎌倉時代に慶派が作った仏像がメインで、こっちは笑っちゃうほどマッチョなんですよ。もう「武家社会必死wwww」「鎌倉幕府宣伝乙」みたいな。造型の美しさも、本来の仏教の教えも、時代背景も、全て含んだ上で面白がらないとダメだと僕は思います。


仏像を面白がるなんて罰当たり?


面白いと言うのは本来「面が白くなるほど驚かされる事」と言う意味なので、心を揺さぶられる出来事は全て「面白い」なのです。日本語は正しく使いましょうね。久々に書いたなこのセリフ(笑)。
久々ついでにたまには自分のブログの宣伝もしておこうかと思うので、パンに興味無い方でも遊びに来てみて下さい(笑)。
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