シリーズ古典新訳文庫

注:今回、本題はかなり下の方です。


なにやら警視庁に野球部が出来るらしいですね。バスターの事を「おとり捜査」とか、盗塁の事を「ウカンムリ」とか呼んだりするのでしょうか。折角だからプロ野球OBとの親善試合とかやって欲しいなあ。江夏、東尾、前川、中山(ピッチャーばっかりだ)とかを集めて「おひさしぶりっす」「もう馬鹿な真似はするなよ。お袋さん泣いてるぞ」「そりゃないっすよ刑事さん」みたいな心温まる交流が観たい。あと「元木は警視庁野球部を隠し球でアウトに出来るか」みたいなネタもやって欲しい。それから、スクイズ成功したら2階級特進もお願いします。



で、強引にスクイズ繋がりの話ですけど、今さらながら先日ようやくSchool Daysを観たんですよ。言われている程酷くないだろと言うか意外と面白く観れちゃったんですよね。後味は悪いですけど(笑)。
この手の救いの無いバッドエンドストーリーは桐野夏生とか天童荒太とかで一時期流行ったし。僕はこういう「バッドエンドだからリアル」という物語は嫌いなんですよ。嫌いと言うか、書きたい事を書いたら自然にそうなっちゃったものは良いんだけど、まずコンセプトありきでバッドエンドなのは嫌い。「現実はなかなかハッピーエンドばかりではない」と言うのは真実ですけど「だからバッドエンドの方がリアリティがある」という論理で書かれた物語には大いに不満があるんですよね。フィクション物でノンフィクションをやって、ノンフィクション物でフィクションをやるのが良いとされている風潮が嫌いなんですよ。わかりやすく言うと、お笑い番組でドキュメンタリーネタ(芸人のプライバシーを追っかけるネタとか)をやって報道・情報番組をドラマチックに演出するじゃないですか。物凄く間違ってると思うんですよね。


話がずれた。


言葉は、誠が好きというより「自分がふられるという事実が、潜在意識の中でプライドが傷つけられて許せない」というニュアンスでは無いでしょうか。もうちょっと世間ずれしていて事件の起こす前に上手くガス抜き出来ていた場合、誠に対して出てくるセリフは恐らく「この辱めをどうしてくれる」だと思うんですよ。


あと、誠がやたらにモテ過ぎ(というより単刀直入にヤレ過ぎ)なのはイソップ童話のミダス王の話(触ったもの全て金になっちゃって困る話)みたいなものだと思いました。誠、あんまり嬉しそうじゃないですよねあれ。この部分(誠がやれ過ぎな部分)はしょっちゅう突っ込まれているみたいですけど、個人的には「だからこそ良いのだ」と思うんですけどね。あれで誠が連続レイプ犯だったら、最後に殺された所で観る側が爽快感を得てしまうと思うんですよね。はっきり言ってその方がよっぽど危険だと思います。「正義があれば何をしても良い」という思想が最も危険。あれは「(誠が最低な人格である事は大前提にしても)良く考えたら女子はみんな自分から望んでやってるんだから、そこに関して誠が責められる筋合いは無い。みんな自分勝手に暴走してるだけで、殺されなきゃいけないような事はしてないでしょ」というところでブレーキがかかるから奥深いんだと思います。そして同時にどうにもモヤモヤが残る。
昨日のエントリーに書いたように、「正義の暴力の快感に酔いしれる」のが最も恐ろしい事なんですよ。はっきり言ってそれに比べたら悪の暴力なんて大して被害は無い。「絶対的な正義など無いのだ」という主張がジャパニメーションに一貫した良心だと僕は思っていますから。そういう意味では昨日のエントリーの「鉄腕アトムは乱暴」というのも頷ける。「勧善懲悪作品」っていう感想が意外と多いらしいですけど、むしろこれ「勧悪懲悪」でしょ。そして、だからこそ良いのではないかと。万人に理解しろというのは無理があるのでテレビでの放映自粛はしょうがないと思います。DVDの発売に圧力がかかったら「ふざけるな」と思ったでしょうけど。



まあとにかく、特にスクールデイズが飛び抜けて鬱だとは思わなかったです。「物凄い不協和音だけど、ぎりぎりバランスは保てているテンションコードみたいな感じかな。最後は言葉が誠の死体を観ちゃう場面は飛ばして、さっき殺したはずの誠から、突然屋上に呼び出すメールが来た方がホラー感があって良かったのに…とかは思いますが。こういうのは不快感ゲージをひたすら上げて一気に奈落の底へ突き落とす事を最優先すべきですよね。


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で、ここからが今日の本題。


最近本屋で目に付くのがこのシリーズ=光文社古典新約文庫なんですよね。映画化が決まったらしいディケンズクリスマス・キャロルをプッシュしているからでしょうか。


面白いのが↑しおりなんですよね。全てがそうではないんだけど、この「ヴェニスの商人」のしおりには登場人物の名前と簡単な一行説明がついている。人名を全く覚えられない私にとっては超便利です。正直新訳よりこれが一番意義深いと思う。


一般的ないわゆる「古典」の小説だけでなくダーウィンの「種の起源」とかにまで手を出す姿勢が実に気に入っています。小説なら時代錯誤の表現でも「その時代だから」で済むけど、自然科学部門に手を出すと単純な翻訳ではすまないだろうに。ていうか、いまだにキリスト教原理主義者が蔓延っている唯一の国=アメリカが凋落している時期に敢えてダーウィンの進化論を再販するセンスが実にニクイ。そういう意味では「訳:鳩山由紀夫」で、必要以上に人類の進化の過程を強調する無い様だったら面白かったのに。ついでにコペルニクスとかガリレオとかの論文にまで手を出して欲しい。あとヒトラー我が闘争の新約とかね(笑)。こちらは「訳:小沢一郎」で。


で、翻訳の仕方ですけど、個人的にはもう一工夫欲しいなと思うんですよねえ。
一番引っかかるのがセリフなんですよ。「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」というその意気や非常によしなんですけど、セリフ以外の部分は別に「もう息を引き取ってる言葉」でも構わないと思うんですよね。その時代の雰囲気を出すためには。


ただ、セリフが現代の日常から考えて疑問な言葉遣いだとやっぱり気になっちゃうんですよねえ。「おととい来い」とか日常会話で言う人いないじゃないですか。話ずれるけどマンガの吹き出しでも「昨年(さくねん)」「昨日(さくじつ)」とかルビが振ってあるのが昔から気になっていたんですよね。普通last yearは「きょねん」、 yesterdayは「きのう」ですよね。出版業界では常識なのかもしれないけど、そんな事はこっちは知らん。「息をしてないなあ」の一言ですよ。
その点、ヴェニスの商人はさすがに舞台の脚本=現実に役者がしゃべる事前提の訳だからかなり良いですよね。シャイロックが「肉は取っても良いけどそのかわり血は一滴も流すな」といわれた時の「それが、法律?」っていうセリフは、シャイロックの悪人だけどすっとぼけた人間性と、「完璧な論理で相手を困らせてやったと思ったのに逆に完璧に言いくるめられて唖然」という雰囲気が出ていて凄く好きです。


だから、セリフはセリフで別の人が役を担当れば面白いと思うんですよね。セリフ以外の部分を「現代っぽい(笑)」表現されちゃうと萎えるので。ついでにいうと本でも映画でも「外国語の言葉遊びのジョーク」を日本語で無理矢理やるの止めて欲しいんですよね。あれ、完全に訳者の自己満足で、観る側からするとイラつくので。普通に原語そのままで表記して雰囲気だけ楽しんで、どうしても意味が知りたければパンフで解説するなり後で検索するなりする方が良いと思う。


その点平成18年出版の新潮文庫版:ナボコフの「ロリータ」は良いですよ。俺だけの天使ちゃんだったロリータがあばずれた感じが「チョーいけてる」とか言うセリフに良く出ていて。ちなみにロリータは「変態小説」と以前紹介しましたけど、面白さで言うとかなりの面白さですよ。町田康あたりが好きな人ならかなり面白く読めるのではないでしょうか。まあドラえもん児童ポルノの規制対象になるかどうかを国会で真剣に議論しているキチガイの国ニッポンでは、その内この本を持っているだけで逮捕されるようになるかもしれませんけど。とはいえ中身は完全に変態ですけどね。変態!ド変態!La変態!ですから。


追記:さっき本屋に寄ったら、名作小説を漫画にするシリーズでも「種の起源」が出てました。そんなに流行ってるの?