タイガーマスク運動?

昨年末、伊達直人を名乗る人からの養護施設へランドセルが贈られたニュースをきっかけに、全国的に類似した「恵まれない方の施設への伊達直人からの贈り物」が相次いでいるそうですね。
個人的には、現実に今新日本プロレスにいる4代目タイガーマスクがどう思っているのか聴きたいところです。やりづらいのかなあ。もし新日の会場に行く機会があったら「タイガー!!ランドセルありがとう!!」って野次飛ばしたいなあ。昔のプロレス会場は、そういう粋な野次を飛ばす事に執念を燃やす客がいっぱいいましたよね。


かなり遠回しとはいえ、個人的にはプロレスや漫画に光が当たるのは喜ばしい事です。そしていくつか感じた事があります。
まず、伊達直人って言う名前は「伊達」=表向きはチャラ男のふりをしていながらその中身は「直人」=実直そのものな人間。という意味だと思うんですけど、今回このような贈り物をされた方々の手紙の文章を読むと「マネです」とか「遅れてゴメン」とか、ややデレ風味が感じられるようにみえるんですよね。ここがちょっと時代を反映しているのかなと思います。
一方ランドセルを売った人は、ランドセルをまとめ買いするなんてかなりのレアケースなはずなんだから、ニュースを見て「あ!これ先週の日曜日にランドセル買った人だ!」とか絶対気づいてるはずですよね。それをあえて胸の内にしまっておくのが粋だなとは思います。


それともう一つ。
一番大きいのは「善意ってこんなに気軽なものだったのね」と気づかせた事じゃないかと思います。
今回の「自称プロ伊達直人(良い意味で)」の様な行為って、偽善でもなんでもなく見返りを全く求めてない、むしろ見返りされても困ると本気で思っている行為なんですよ。
でも、政治家とかPTAとか教育委員会とか日教組みたいな「偽善者」にはそういう感覚を理解できないんでしょうね。
だから「善なる行為をした人にはそれなりの見返りがあるべき!」と誤った考えを起こして、ボランティア活動を内申書に反映させたりしたじゃないですか。アレが最悪だったと個人的には思います。
ああいう事をする事によって「ふと思い立った時に気軽に行う善意=点数稼ぎのための汚らわしい行為」っていう気持ちになってしまう&そういう風に周囲から見られるのが嫌で行動に出せないという子供が絶対増えたはずだと思うんですよ。
他にも、貧困に喘ぐアフリカの子供達に寄付をしたら役人が途中で抜いていて全く子供達に届いていなかったとか、死ぬ死ぬ詐欺をはじめとする各種募金詐欺に打ちのめされたり、善意を踏みにじられる行為を数々体験してうんざりしていた面がかなり大きいのではないでしょうか。


でも、本来善意って思いついた時にやれる範囲でやれば良いという程度のものだという事に世間が気づいたのは大きいと思います。
自分は街中で困っている人や大きな荷物を運んでいるお年寄りや酔っ払いの喧嘩等を見かけると割りと抵抗なく割り込むんですけど、それは自分がいい加減な人間&周囲の目をあまり気にしない人間だからだと思うんですよね。面倒くさくなったら「すいません、急用を思い出したのでここまで!」ってあっさりバックれる事にも抵抗が無いので。あ、ちなみに駅で酔っ払いの喧嘩を止めに入るのは気をつけた方が良いですよ。見て見ぬふりをしていた駅員が、終わってから突然強気に割り込んできて「貴様も仲間か!」とかいってこっちが勝手に悪者にされちゃう事がありますから(笑)。


不自然に善行を崇高に扱うのも軽く扱うのも間違いだとは思いますけど、良い事はフットワーク軽く、悪い事は慎重に。これで良いんじゃないですかね。