東村アキコは神

東金のあの事件ですけど、個人的に一番心に引っかかったのは「女の子が気付いたら自分の部屋に来ていた」的供述をしていた事なんですよ。まあ単なる言い逃れなんでしょうけど、僕も気付いたら知らない子供がそばにくっついている事が良くあるんですよね。
高校生の時は休講の時に公園で野球をやって遊んでいると知らぬ間にどこかの子供が勝手に守っていたりネクストバッターズサークルで真剣にバットを振っていたりしてたし。「すいません、名前がわからないと応援できないから名前を教えて下さい」「え?あ、島田です。今日は宜しくお願いします」とか意味分からない会話してたりするし。本屋で立ち読みしてると、ふと気配を感じて横を見ると全然知らない子供が絵本を差し出して買ってもらう気満々だし。一応言っておきますけど、僕はどちらかと言うと何もしてないのに警察に職質されるような顔であって決して子供に好かれる顔ではありません。


と言う訳でこれですよ。「ママはテンパリスト」。先日友人の出産祝いの一部としてこれをプレゼントしました。奥様にお喜びいただけたようで幸いです。
でも育児とかは関係ないです。普通に面白いです。っていうか完全に神が降りてます。東村アキコ神の他作品も全て神ですけどこれが一番神です。西原理恵子以降うんざりするくらい湧いて出た「女性漫画家(兼エッセイスト的な存在)による自分曝け出し自虐漫画」の一端だと思われているかもしれないけど、僕は違うと思います。単純に「自分と家族の実話に基づいたギャグマンガ」でしょう。まあ面白ければ定義なんかどうでもいいんですけど。それでも何気にこんなに詳細に自分の乳首を描いた女性もおそらくこの人が初めてかもしれないけど。


内容なんですけど、僕は上記の通り理由は分からないけど幼児に異常に好かれてですね。僕は自分の事を世界一愛想がない人間だと胸を張って言えるので、何故甥っ子が幼児の頃やたらに僕にへばりついて一緒に遊んでいたのか良く分からなかったんですけど、「要するに子供は、自分に媚びた物より実用性の高い物に惚れる」という事をこの本ではっきり教えていただきました。
作中では「お風呂場でおもちゃには見向きもせず風呂釜洗いのジャバの空き容器でばっかり遊んでいるごっちゃん」が描かれていますけど、僕の甥っ子も遊び道具は新聞紙とか風船、CD、座布団とか要するに実用品でしたからね。あと、例えばブラシとかを渡してやると得意げに家族全員の髪の毛を梳かして回って嬉しそうに帰ってきたりそういう遊びばっかりやっていた。自分も家族の一員だと思いたがってるオーラは出ていたから、部外者の自分はそうやって赤ちゃん扱いせずにしてやった方が喜ぶんだろうと思って。思ってと言うか、僕が「○○ちゃ〜ん、おじちゃんと遊びまちょうね〜、あばばばば〜」とかやるわけがないですけど。


ていうか今振り返ると僕の事自体「実用品」と解釈されていたような気もするんですけどね。絶対に怒られるはさみとか危険物を見つけると、僕の手を引っ張って連れてきて、シートベルトの様に僕の腕を後ろから回して自分の腕を固定させてはさみで紙を切って遊ぶんですよ。慎重にはさみで紙を切りながら、弾丸摘出手術の医者のように「ふぅ〜」とか額の汗を拭いながらため息ついたりして。どう考えても僕の事は友達とか家族と言うより「道具」と思われていた気がしてきた。ペットですら自分の事は家族の一員だと思ってるらしいから、人間の赤ちゃんならもっとそう思ってるに決まってるんですよね。そりゃあおもちゃより実用品に目が行くだろうと。逆におもちゃに目が行くのはもっと大きくなってからだと思いますよ。



という訳でごっちゃんがおかしな子供な訳ではなく、子供なんてみんなこんな物なんだろうと僕は思います。東村アキコ先生がごっちゃんの事を大好きだからどんな小さなネタも拾えているんだろうと思います。関根勤が大好きな人を人並み以上に観察した結果独自の物真似を開発しているのと同じ事なのではないでしょうか。
最後に、アキコ先生はごっちゃんが中々乳離れできない事を嘆いておられますけど、悟空がチチを好きなのは必然!!ずばり言ってそんな名前を付けたのが原因です!!残念!!