刑法入門(山口厚)

先日、だいたい19:00頃、要するにこの時期すっかり真っ暗になってはいるけど人通りはまだまだ多い時間に大きな横断歩道を渡っていたら、向こう側から物凄い勢いで車椅子が突っ走ってきたんですよ。
危ないなあと思いながら僕の横をその車椅子が通り過ぎて、後ろで物凄い音がしたから振り返ったら、何かに躓いて人間ロケットのように乗っていた人が吹っ飛んでいったんですよ。
周りの人が助けようと歩み寄って声をかけていたんですけど「チッ」とか言って礼も言わず謝罪もせずにまた凄い勢いで突っ走って去って行ったみたいなんですよねえ。暗闇で自転車の様にライトもつけず音もせずに物凄い勢いで突っ走って、あれ人にぶつかったら大怪我しますよ。子供だったらアウトですね。



という話とは微妙にリンクするようなしないような話。最初に断わりますけど専門的な話は一切しませんので興味ない方にむしろ読んで頂きたい。専門家は突っ込まないように。

さてこの「刑法」という本。そのまんまな内容の本ですね。新書という事で専門家ではない人向けのわかりやすい基礎知識という事になります。
一応私も法学部出身なので正直知識としては全部分かっている事なので「試験で良い点を取りたい」とか「ウンチクを語るための道具にしたい」という観点で読む意味は全くないんですけど、個人的なテーマが「アクロバティックな事をやらずに基本に忠実に生きる」という事なので改めて読んでみました。
内容はとてもわかりやすいです。刑法って言うのは「ルール」なんですよね。世の中のほとんどの事はスポーツのようにきれいに切り分けられない、曖昧な、どういう風にも解釈可能な物だと思うんですよね。それに対する「ルール」。



何が言いたいかというとですね。法律家=理屈っぽいというのが一般的な解釈だろうけど、むしろ「自分に都合よくルールを捻じ曲げようとする悪人の屁理屈を理論的に論破する」という風に解釈したいなと。
例えば超わかりやすい例を上げると、「お医者さんはメスで人を切り刻んでいるんだから、人を切り刻む事は法律で認められている。だから人を殺してもいいんだ」という子供がいたとしますよね。それに対して色んな説明の仕方があるんだけど、現在は「医者の場合は患者の同意があるからOKなんだよ」っていう解釈が主流ですよ、みたいな話が色々解説されています。法律の知識を付けるための本という風に読んでもあまり意味が無いというか。



で、僕がはたと思い当たった事があってですね。「どういう行為を禁止の対象(=犯罪)とするか」には犯罪を倫理違反として捉える立場と利益侵害として捉える立場があるという話なんですね。社会倫理説と法益侵害説。
1970年代までは社会倫理説が主流だったけど現在は法益侵害説が主流なんですね。何故かというと憲法で個人の尊重が認められているんだから、国が一定の価値観に基づく倫理を押し付けるのはおかしいだろと。
これ、現在の人は「当然の事だ」と思うけど、30年以上前は「そんな事をしたら統制が取れなくなってしまう」と思っていた訳ですよね。



で、ふと思ったんですけど、昔のコントでよくあるパターンにヤクザが町ですれ違った人と肩がぶつかって「てめえ!怪我したじゃねえか慰謝料よこせ!」とかいうのがギャグとしてあった訳ですよね。これって社会倫理説が主流の世の中だから「そんな事で慰謝料を請求するなんて倫理的におかしいじゃないか!」っていう事になるんですよね。法益侵害説によると「当然だ!病院に行って『全治3〜4日程度の軽症』位の診断書を書いてもらえば法益を侵害された事を立証できるんだから、物凄く当たり前の事過ぎて全然面白くない!」ってなるわけですよね。
逆にツンデレ風紀委員なんていうのは今の世の中だから「おいおい、別に誰かの法益を侵害している訳でもないのに何でそんなに必死なんだよ(笑)」っていう前提でどこか滑稽な訳であって、昔だったら「個人の意思より倫理を尊重するのは当然だ!立派な方だ!」っていう事になるんですよね。まあどちらにしてもデレとのギャップはある訳ですけど、現状のツンデレは「どこか間抜け」っていう扱いが多いですよね。ってそんなに詳しくないから突っ込まれたらあっさり前言撤回しますけど。
まあツンデレ云々とかはどうでもいいんですけど、「1970年代には社会倫理説が主流だったが、現在は法益侵害説主流に変わった」っていうのは実に示唆に富んでいると思うんですよね。このルールによって、法益を侵害されている人=倫理のある人という論理になっちゃってるんじゃないですかね。今って「被害者=徳の高い人」ぐらいの勢いですもんね。今の世の中のネトウヨの人達って、正しいかどうかはともかくとして無意識に「社会倫理」を求めての行動なんじゃないかなあ。どっちが良いかではなく単純にバランスが悪いと思うんですよね。個人的には。



つまりですね。
以前から散々書いているように「ルールそのものよりそのルールを設定する事によって人々がどう行動するかが重要」っていう事なんですよ。ルールそのものについて語ってもあまり意味ないんだよなあと。何かを上手く説明したいとか反論したいとかいう物があるんだけど上手く言葉が見つからない・・・みたいな人が読むと面白い本じゃないですかね。
と、ここまで書いておいてなんですけど、「憲法で個人の尊重が認められているんだから、国が一定の価値観に基づく倫理を押し付けるのはおかしい」という文章、大いに頷けるけどどこか引っかかるんだよなあと思う人もいると思うんですよね。「法益」だって国が一定の価値観を押し付けている事に変わりはないと思うんですよね。これってポジションの問題だと思うんだけどなあ。被害者と加害者、どちらに近い側から見るかという。



他に僕がちょっと気になった凄くどうでもいい事なんですけど、「心神喪失」の部分だけ(心「身」喪失ではありません!それでは心も体も失われた!状態になってしまいます」と、ここの部分だけ突然お茶目な解説が入るんですけど、これって多分学生の誤字がやたらに目立つという事なんでしょうね。
だからと言って「近頃の東大生はこんな漢字も書けなくて云々」とかいう嫌味を言いたいわけではなく、普通に考えて手で書いていれば間違いようがない漢字の間違いが多いと言う事は今はレポートとかも機械打ちするのが主流なんだろうなあと。長い文章を書くと誤変換とか気付かないんですよねえ。自分でも気付いているんですけど基本的に一発勝負で後から手を入れない主義でブログを書いているから恥ずかしい誤字とかもわざとそのまま放置していたりするんですよね。だったらどうしたっていう話ですけど。