連作(2)

ちなみに私のサイトには「万物は流転する」という言葉も書いているんですけど、これは仏教の真理ですね。




この本には「仏教は科学である」って書いてあるんですけど、仏教はいわゆる宗教とはちょっと違うと言うニュアンスで「仏教=哲学」ならまだ理解できても「仏教=科学」っていうのはかなり突飛な印象がありますよね。でもこれ単純です。要するに「観察」なんですよ。養老孟司氏が言うように、科学の理論と言うのは常に「暫定」なんですね。万物は流転しているんだから「断定」はできない。
そういう意味では「知識」というものは役に立たない。パン生地などと言う常に状態が流転しているブツを何百アイテムも同時進行で相手していた私には実に馴染み易い教えです。仏教に真理を知りたかったらずばりパン職人になるのが一番早道ッすね(笑)。
これも同じ事を言っている訳です。情報と言う物は常に過去の物で、目の前の物は(あと自分も)常に流転しているのだから、事実上役に立たない。だから観察し続ける事が唯一真実ですよと。観察対象はほとんどの場合言葉ではない情報媒体、空手で言う所の「型」ですから、みんな同じ事を言っているんですよね。要するに「観察対象も動き続けているんだから、自分も動き続けろ(もしくは自分も常に変化し続けている事を自覚しろ)」という事なんですよね。世間一般では「思考=知識や情報に頼る」なのかもしれないですけど、自分の中では「知識や情報に頼る=留まっている=それは思考(=感性)停止である」なんですよね。感性を停止させて感情で雑に判断して「感性だ!」って言っている人が多過ぎるから嫌なんですよ。それなら「Don't Feel. Think」ていう方が遥かに潔いと僕は思うんですよね。


個人的には、仏教は「情報や知識に頼って思考停止するな」という事を「お釈迦様だけが唯一絶対の知性だから人間ごときが努力するだけ無駄だから」という言い方をしているんですよね。この、人を馬鹿にした態度だけがちょっと嫌いです。恐らく「常に変化している物は数式で表す事はできない」っていう認識があるのだと思うんですけど、それって微分積分じゃないですか。哲学だろうが宗教だろうが格闘技だろうが裏社会の麻雀だろうが数学だろうがパン作りだろうが、極めて行くと同じ所に辿り付くと思うんですよ。